世界は贈与でできている












贈与は「いつか気づく」ことを要求する
贈与は、差し出した人に倫理を要求し、受け取った人に「気づき」を要求する。
例:親が子へ愛(贈与)を注ぐ。子は今は気づいていない。親は「いつか気づくといいな」と願う(=心に刺さった棘)。やがて子が「過去、自分は愛されていた」と気づく。
- 棘:子がいつか愛に気づくこと ⇒ 倫理
- 過去より自分は愛されていたと気づくこと ⇒ 知性
- → 「気づける人間」になれるか?
贈与は「現在」にはなく、気づきは後からやってくる。
ウィトゲンシュタイン:言語ゲーム
「痛い!」という発話は、この人の状態を示すのではなく、この人は何らかの対処(同情)を求めている。
- 状態を示す場合 → 言って終わり
- 同情を求める場合 → 言ったことから始まる
世界像(疑えないもの)
天びんで「3+5=8」を証明するとする。では「天びんの正しさ」は何で証明される? それはあたりまえに正しいとされ、疑いの対象から除外される。この疑うことのできないものが「世界像」。
ここを疑ってしまうと、天びんの不具合など別の問題に気づけなくなる。
アノマリー(変則性)
- アノマリー:常識と照らし合わせてもうまく説明がつかないこと
- 「今までの常識ではこうだけど、これじゃ説明つきにくい?」
- アノマリーに気づくことで、新しく正しい事実へ向かえる
- ただし、常識(パラダイム)がしっかりしていないと変則性には気づけない
- アノマリーをパラダイムで説明しようとすること = 求心的思考
SF は現代の常識を覆すことで、自分たちがどんなものを与えられているのか(気づかず受け取っていた贈与)に気づかせてくれる。例:今ある学校給食を支えていた前の世代。
「ない」には気づくが「ある」には気づけない
世界は不安定なつりあいでできている。
- 不安定なつりあい:少しの非日常で元に戻らなくなる
- 安定なつりあい:常に日常が続く
- 「安定的」と思い込むと、日頃の感謝を忘れてしまう
- 「日常」はギリギリ保たれている=偶然性
何かを手に入れたとき、それをシェアしたくなる(景色・食べもの・作品・知識…)。
テックブログを書くのも、失敗談やそこから得た解決策を共有したい気持ちかも。
市場経済があるからこそ贈与は贈与たり得る
- 僕らの世界は「商品」(市場経済)であふれている
- だからこそ「贈与」がすきま=アノマリーとして際立つ
- 市場経済があるからこそ、贈与は贈与たり得る
贈与とは交換の失敗
3つの人格が刺激される:消費者的人格 / 受贈的人格 / 健全な負債感。
- 「1000円分のサービスは受けて当然」→ 消費者的人格が刺激される
- 「1000円以上のサービスを受けた!」→ 受贈的人格と健全な負債感が刺激される
- → お返ししないといけない感 → 進んで他者へ手渡す行動に変わる
- ビジネスの現場でも、贈与の理論とメカニズムは働いている
贈与のバトン
「送り先のいない人は、バトンを握りしめて誰に渡せばいいの?」——これは前提が違う。
- 贈り手「誰かに贈りたい」/ 受け手「受け取ってくれる人がいた!」
- 受け手が「受け取ってくれてありがとう!」
- → 「受取り手がいる」という事実が、贈り手にも返ってきている(受取り手から贈り手への贈与)
- 与える / 受け取る という階層はなく、1つに溶け合う。「返礼」が1つの贈与となる
読んだ記事に「いいね」を付けるのも、受取り手から書き手への贈与かもしれない。
教養とあとがき
- 教養は世界と出会う方法の1つ。常識を知り歴史を知ることで、今ある「あたり前」が、自分が不当に(時代が違えば受けられなかった形で)得たものだと気づく
- あとがき:「空っぽだと自覚するところから文章は始まる」
- 自分は空っぽ ⇒ 今持っている知識は、少なからず誰かからもらったもの
- → もらったものを次の誰かにつなげるために、自分も文章を書く